事業としての不動産投資のすすめ
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理念・考え方

結婚して子供を作る理由が本気で分からなかった私が結婚して子供を作った理由

学生時代の友人
学生時代の友人
あれ?八木って子供いるの??
てか、まずいつ結婚したの!?笑
超展開すぎやろ!
らんべるアセット八木
らんべるアセット八木
せやろ?笑
俺自身もびっくりやわ。
学生時代の友人
学生時代の友人
八木に子供いるとか未だに想像つかへんもん。
昔、結婚する理由が分からへんって言うてたから、八木はずっとしないもんかと思ってたわ。
どういう気の変わりようなん?

こんにちは!
らんべるアセットの八木です。

今日のエントリーは不動産投資まるでカンケーないです。すんません\(^^)/

でも、人生において重要な意思決定である結婚とか子作りって、私はある意味これも投資の一種だと思うんですよね。(こじつけ

今回は、私がどういう経緯で結婚して子供を作る人生を選んだのかを書いてみようと思います。

ずっと世の中の人々が結婚して子供を作るのが不思議で仕方なかった

ずっと不思議だったんですよ。
世の中の人々が「結婚したい」とか「子供がほしい」とか言うの。

女の子ならまだわかりますよ。
結婚することに経済的合理性があるケースが圧倒的に多いし、複数でなくて一人の大切な人がほしいってのは生物学的にも理にかなってる。
(想像したくもないけど)私が女だったら、「結婚したい」って言ってたでしょう。笑

でも、男が結婚する理由はマジでわかりませんでした。
フツーに考えて使える金は多いほうが良いし、自由に時間を使いたいし、いろんな娘と遊びたいし。
結婚ってのはあくまで「契約」なわけで、契約ってのは合理的な理由があって初めて結べる。
だから、理由らしい理由もないのに、その負荷を進んで背負いにいく奴らはマジでドMやろ!笑、と思っていたんです。

結婚とか子作りを毛嫌いするというよりは、それを選ぶだけの理由がないし、それを選ぶだけの理由がどんなものなのか想像もつかなかったわけです。

いろんな人に結婚した理由を聞いてみた

男も25歳を過ぎてくると、周りが徐々に結婚してきますよね。
だから、どういう理由で結婚という選択をするのか気になっていろんな方に聞いてみた時期がありました。その結果がこちらです。

  • 何となく
  • 子供ができたから
  • お互いの家族が仲良くなり、状況的に追い込まれて
  • 年齢的に落ち着きたかったから
  • 家庭を持ちたい願望があったから
  • ずっと一緒にいたいと思えたから

その時私が感じたのは、「みんなそこまで理由を考えずに結婚しているし、考えていないから結婚できているんだな」ということでした。
だから、そこに明確な理由が必要な私は一生結婚もしないし、子供も作らないだろうなと。

やりたいことやって一人で死んでいくならそれも人生だと思ってましたし、やりたいことをやれた分、その方が幸せだろうなって。

そういう結論を導いて、私はその通りに生きていくつもりでした。

出発点は、年老いた妻が1人で死んでいくのを「嫌だ」と感じたこと

妻とは、新宿駅で私が声を掛けたのが出会いのきっかけです。
出会ったその日に価値観が合うと感じ、1ヶ月後には一緒に住んでました。

当時、妻が東京の練馬区に住んでいたのに対し、私は大宮から長岡市への引っ越しが決まっていました。
そこで、妻が長岡市のまだ工事中の新居に一緒に遊びに行ったときに、「一緒に住もう?」と言ってみたんです。
生まれも育ちも東京の娘が何の縁もない田舎に引っ越してくるって、結構なハードルだと思うんですよ。
それでも妻はその場で「うん、良いよ」と即答してくれて、この娘は本物だなと確信しました。

この娘と一緒に生きていくことが私の幸せだな、と思ったんです。

同時に、「年老いたこの娘が将来、一人で死んでいく未来は嫌だ」と強く思いました。
私は別に良いんですよ。
もともとその予定でしたし。
でも、妻が一人で誰にも気にかけられずに死んでいくその未来だけは、私が許せない。

妻は私の10歳年下です。
いろいろあって親族とも絶縁しています。(ちなみに原因は私じゃないです笑)

男女間で平均寿命に6歳の差があるのに加えて10歳離れていれば、ほぼ間違いなく、私の方が先にあの世に旅立つでしょう。
妻は、平均的にみて16年間は私がいない世界を生きるわけです。
そのときに気にかけてくれる人が誰もいない、というのはすごく寂しいことだと思うんです。

このときに、30年生きてきて人生で初めて「子供が欲しい」と思いました。

もちろん、老後の親の面倒みてもらおうとかそういう打算ではありません。
そうではなくて、少しでも心のどこかで気にかけてくれる親族の存在って、普段は離れて暮らしていたとしても、ものすごく大きいと思うのです。

妻と一緒に、そういう存在を残したいと思ったのです。

結婚という手段を選ぶに至るまで

去年の11月に妻の妊娠が判明しました。
妻を扶養(いわゆる第3号被保険者)にすることで社会保険料を抑えられるため事実婚状態(住民票が一緒で妻(未届))ではありましたが、この時点ではまだ結婚していませんでした。

私は結婚はあくまで手段だと考えています。

よくデキ婚だと言われますが、順序とかマジでどうでも良いんですよ。
もっと言うと、フランスのPACSみたいな選択を日本でできたって良いと思うんですよね。

子供ができたら「結婚しないといけない」というのは思考停止で、世間がどうあれ、メリットの大きい形を選べばそれが正解だと思います。

我々は子供が生まれてくるにあたって、「法律婚」と「事実婚」の差を徹底的に調べました。

法律婚と事実婚の違いは大きく2つ、小さいものも含めると5つ

大きな違い

相続税法上の取り扱いの違い

法律婚
夫の死亡時、妻は自動的に法定相続人になります。
遺留分減殺請求ができます。

事実婚
事実上の夫が遺言を残さない限り、パートナーは相続人になれません。
遺留分減殺請求もできません。

法律婚と同じ効果を生じさせようとすると、事実婚の場合は必ず遺言が必要となります。
私のように不動産や株式の売買を頻繁にする方は、遺言の資産目録を維持するのにかなりのコストがかかるでしょう。

緊急時の意思決定者になれるかどうかの違い

法律婚
大事故に巻き込まれた等の夫の緊急時、妻が家族として意思決定できます。

事実婚
大事故に巻き込まれた等の事実上の夫の緊急時でも、パートナーは家族ではないため意思決定ができません。

万が一の場合に、最も近くで生きてきた理解者に意思決定を委ねられないというのは大きなリスクです。

小さな違い

子供が生まれた場合の戸籍の表記の違い

法律婚
婚姻関係があれば、妻が産んだ子供は夫との子供であると「推定」されます。よって、子供は自動的に夫と妻の戸籍に入ります。

事実婚
「推定」がはたらかないため、夫が子供を「認知」する必要があります。また、戸籍上、子供は妻側に記載されます。

「認知」の手間が多少かかりますが、戸籍自体が形骸化した仕組みであるため、表記の仕方が異なるだけで実質的に困ることはなさそうです。

名字の違い

当然ですが、事実婚であれば別姓のままです。
何も変わらない、ということなのでこれに関してはむしろ事実婚の方が楽です。

配偶者控除の違い

事実婚だと配偶者控除が受けられません。
38万円の所得控除ということは、おおよそ8万円/年くらいの差ですかね。
積極的に法律婚を選ぶほどのインパクトはないです。

もう1つの見えざるハードル

最近は増えてきたとはいえ、日本では結婚しないことが未だに「マイノリティー」です。
子供がいるのであればなおさらでしょう。
その選択をしたことに対して理由を説明するコストは少なくないでしょう。

既存の結婚制度に乗っかるという「手段」を選択

これらをすべて勘案して、我々は既存の結婚制度に乗った方が「我々が幸せに生きやすい」と判断しました。
特に事実婚のままにしておきたい積極的理由もないですしね。

2人で話して、大金を払って結婚式は挙げることに価値を感じなかったため、式は挙げませんでした。
その代わり、ウェディング写真を10万円ちょっとでプロに撮ってもらいました。

まとめ

この手のエントリーの定石として、昔の自分が考えていたよりも結婚や子供作る生き方ってのも良いもんだよ!というまとめになりがちですが、そうはさせません。笑

私は今でも、自分の中に結婚して子供を作る理由がないうちは、結婚なんてしない方が良いし子供なんて作らない方が良いという考えです。
自分の頭で考えずに周りの価値観に流されれば、必ず後悔します。

まとめると、私は以下の経緯を辿りました。

  1. 彼女(今の妻)が一人で死んでいくのが嫌だった
  2. 少しでも気にかけてくれる人の存在が必要
  3. 子供が欲しい
  4. 家族を築くにあたって、既存の婚姻制度に乗る方が生きやすい
  5. 結婚するかぁ~

かつての自分に言いたいことは、「もっと狩りに出ろ!」です。
多くの経験を積むことでしか本物かどうかを判断することはできませんし、その先の感情もわかりません。
経験者の話を聞いて論理的に考えるだけでは、出発点となる「感情」には絶対にたどり着けないでしょう。

我々の世代を始め、最近の若者は草食化していると言われて久しいです。
根本的には「若者がお金をもっていない」ことが原因だと考えられますが、それ以外の原因として、女が強くなる一方で相対的に「男」が弱くなっていることを感じます。

どんどん失敗できない世の中になってしまっていて、身動きが取れなくなってしまっている。
何もしなければ、「ノーリスク」ですからね。
その結果、周りと一緒に、リスクを取らずに「ほどほど」でいることが幸せであるという価値観の若者が増えました。

私は男として、その価値観を「カッコ悪いな」と思える感性を持った人間を育てていきたいですし、うちの長男にもそうなってほしいなと思っています。
いろいろやって、どんどん失敗すれば良いさ!笑